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真に受けると凶な一言なのかも
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最初の一口で旨いと判断する。次の二口で吟味する。最後の三口で満足する。
【解説】
これは料理の話なんですが最初の一口って好きかどうかという判断をする訳です。
シャコのように形はグロテスクでも食べてみたら美味しかったというように最初の一口って重要なのです。

二口目、今度はどこが美味しかったのか、どんな風に美味しいのか判断する訳です。
かといって詳細に分析するのではなくてメンチカツなら肉汁が美味しいとかソースが美味しいと感じるようなものです。
「ウスターよりも中濃ソースが合うんだ、これにマヨネーズかけたいな」程度だと考えて下さい。

最後の三口とはお腹一杯になってきて最後の一口が近づいた辺りがクドくなってきます。
そこが一番の余韻なのです。ここで美味しかったとなれば「もう一度食べたいな」というリピーター衝動に駆られます。実はちょっと物足りないけど程度が丁度良くデザート食べたいなと思わせたら大成功なのです。(またはお茶を飲んで丁度満足したという程度ですね。)

満足しきったらそこでお終いなのです。
なぜなら最後まで作り込んで途中で食べ飽きてしまっては台無しだからだったりします。
旨いという事は飽きやすく印象に残りにくいという矛盾を秘めているからです。

ついでに言うと食べきる、飲みきるというのはとても大事な事です。
最後まで食べきるというのは達成感に近い快楽を与えます。
食べきれない大盛りは仕方ないと思う反面、モヤモヤとした部分がついて回ります。
このモヤモヤは他者にネタという部分で自慢話をする事で発散されるから別に大した事はなかったりしますが…
とりあえずジュースを途中で捨てても最後の一口だけ取っておいて飲んでみて下さい。
きっと最後の一滴が喉を通った瞬間に「美味しかった」と思うはずですから。




これは応用として文章でも使えます。
俗に「文章は最初と最後で決まる」と言われています。
最初の三行で技術を見て、一章で吟味する、最後に結末を見て合否を判断する。
何千、何万枚も原稿を見る職業では実に合理的です。
読者も上手い下手というのにはシビアです。
上手ければ黙って読むし、下手なら中身を見ずに本を閉じる。中身なんていうのは読者の妄想が面白そうと判断した時始めて読まれるものなんですよね。
つまりエロ小説でどこに艶のある描写があるか探すようなものです。

その逆も時に存在して、初見は最悪だったものがいつしかはまってしまったという例です。
最後まで聞かされる音楽で多いのですが、「中身が本物であった」「面白かった」という事です。
新進気鋭の同人作家に多い傾向なのですが、磨けば宝石になる石なんですよね。
しかしながらその石は癖が強く、傷が付きやすく、無くしやすいの三拍子が揃っています。
癖を補正したら良い面が壊れてしまった、ちょっと売れると天狗になって独立する。等です。

書いていたら若い頃を見ているようで懐かしいです。
そうそう、何故「最後に満足させてはいけないか?」を書いてありませんでしたね。
作品の質というのは比較・対照によって成り立ちます。
本は恋と同じ様なもので一度良いと思ったらどんな駄作でも褒め称える傾向があります。
読み比べて「やっぱり本は面白いよね」と思わせる事、不味いモノは不味いと言われる事が大切なのだと思っています。

手抜きで出した原稿を担当に「手を抜いたろ」と言われたからかどうかは読者の判断に任せます。
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